痙攣性発声障害のこと①

なぎは痙攣性発声障害ていう
発声障害を持ってます

一般社団法人SDCP発声障害患者会

ジストニアっていう神経の病気の一種らしいです。

 

一時は電話も出れない、

あーーーってまともに発声できない状況で

歌は絶望的だと思ってたけど

巡り巡って縁あってまた義太夫教室で太夫を練習し始めて

太夫が語るのが楽しい(≧∇≦)

声出して表現することが好き(≧∇≦)

って感覚を思い出せてます

特に、今年に入ってからは、

今までは全員で語ってたのを、3月10日の発表会に向けてパート分けして一か所ずつ細かく稽古していく感じになってて、それがすごく楽しくて幸せ(ノд・。)

不思議やけど太夫のときは殆ど詰まれへん

お金ないけど詰まらずに自分がこんな風にやりたいって思ったように声が出ることだけでも

幸せ(ノд・。)

ここまで来るのに

いろんな人の支えや、こんな自分でも歌う場提供してくれたり

なぎちゃんの歌いいって言ってくれたり
(ノд・。)いやもうホンマありがたい。。

痙攣性発声障害がわかって以降、この10年くらいで歌や発声教えてくれた先生方に感謝です

最近twitterで同じ痙攣性発声障害の人とも繋がるようになったりして

あぁめっさ気持ちわかる。。。(T△T)

ってのもあるし

自分もまだまだ全然ダメな時もあって

へこんだり、声出す感覚がわからなくなって不安と自己嫌悪で一人で泣いてまうときもあるけど

振り返ると

段階踏みながら

かなーーーーり克服したと思います

階段はまだ果てしなく先あるけどw

症状の重さも人それぞれ、

痙攣性発声障害にも内転型、外転型というのがあって、

なぎは内転型のほうです。

常に声が出ないわけでもないから余計ややこしいし、理解してもらえないというか

そもそも理解してもらったからってなんやねんwってのもあるし

ポリープとか、枯れとも全然違うし

精神的なものともまた違う

痙攣性発声障害になったことによる精神的な2次障害はあるけど。

なぎ的には潜在的なものが影響与えたりしてるんちゃうかなと思ったりもしてます。

せやから

自分でいろいろ試してきた中で

やってみたトレーニングとか

なんで太夫のときは詰まりが起きにくいのかとか

自分なりの克服法なんかも書いていきたいなと思います。

まず

経緯から~始まり始まり~~~

いぇいいぇい

痙攣性発声障害の兆候

18歳で上京して、住み込みで新聞配達をしながら音楽の専門学校に通ってました。

もともと

演歌とか太夫やってたときは

あんまり厳密にリズムとか音程とか気にしてなかったり

とにかく大きな声を出そうって思ってたし

むしろ演歌とかってわざと歌遅らせたり

せやから

初めてボイストレーニングってのをやったときは

全然うまくできなくて

あと

元から自分が地声で押す発声ではあったと思いますが

歌によってはそうではなかったこともあったし

そんな力まずとも楽しく歌えてたと思います。

ただ、浜田麻里さんが好きだったので

まだミックスボイスとか知らない時期はけっこう高音も地声で張り上げちゃってました

ただこれも曲によっては今思うと

自然にミックス使ってたのかもなって思うのもあります

学校のボーカルの授業で声出せるのは週1しかなくて

グループレッスンで

ピアノに合わせて発声練習してたけど

その時は声出さなきゃ!!って意識が強くて

正しい発声なのかどうかもよくわかったなかった

大きい声がいいと思ってたし。

そこからどんな意識で発声するかまでは

グループレッスンで時間もなかったので、ただやみくもに声出してたように思います。

あと、住んでたボロアパートがボロすぎて、歌勉強したくて東京出てきたのに声だ出せず

声出したいのに気持ちよく出せないって状況で歌ってたり

朝・夕刊の配達、声を出せない環境、、ストレスもあったんだと思うけど

どう声を出していいのかわかんなくなっちゃってました

初めておかしいな?って思ったのは

集金のとき、

ある家で、玄関入ってすぐに階段がある家で、

2階に向かって大きい声で〇〇さーんって呼ぶことになってる家があったんですけど

『○○さーん』

の『さーん』

のときに、声が詰まるというか、つっかかって出なくなるって現象が起きました

今までそんなことなったことがなかったし

枯れてるとかそんなわけでもなく

喉が勝手に締まるというか、不安で嫌な気持ちになりました

これが最初。

痙攣性発声障害だとわからずに間違ったトレーニングを続けた時期

その後もホンマいろんなボーカルスクール行ったり

ボイストレーニングもやってたけど

相性なのか

当時はまだミックスボイスとかちゃんと教えてくれなかったり

まじめに練習してもうまくできないことを理解してもらえず

やればやるほど酷くなるというか

出すために強く出すと、詰まりがなくなるので

まだまだ力が足りないんだって思って

更に強く押し出すような声でしか歌えなくなりました。

でもそれで歌ってても

フレーズの最後のほうで喉が締まって声が出なくなったりして

それをまた腹筋で強く押し出して出そうとするので

息も続かない→ピッチぼろぼろ

。。。

あれ?

歌うのってこんなにしんどいことだったっけ。。。

なんかおかしい(´・ω・`)

って思ってたけど

今までボイトレにつぎ込んだお金とか

練習してきたことが全部無駄だったとわかるのが怖くて

練習が足りないんだ。。。って思って

自分を追い込むために

六本木のライブバーでシンガーのバイトを始めました

それでも悪化する一方。。。

間違った練習の成果のパワーだけはあったのでwww

それでも歌いきれる曲だと、それが好きって言ってくれるお客さんとかもいたけど

やっぱり安定しないことも多くて

バンドの人にも

ボイトレとか行ってる?とか

練習してんの?

って言われて

当時防音の部屋にまで住んで

ずーっと練習してたのに

なんで??ってなって

お店行く前に当時六本木の駅にあったウェンディーズで

店に行くのが怖くなって

ハンバーガー食べながら泣いてましたwww

痙攣性発声障害と発覚

会社ではいつも元気に電話とって

自分からかけるときも大きな声で

お客さんにもいつも元気だねって言ってもらえてたのに

会社で電話を取ると詰まるって状態になってきました

普段は普通にしゃべれるのに

お店で注文するのに店員さん呼ぶときとか

会社で電話出ると、ぜんっぜん声が出なくなってました

精神的なものかなとも思ったけど

もうこの頃になると

潜在的に声を出すことに恐怖心を持つようになってました

いつも元気ななぎちゃん♪

電話も元気いっぱい~~☆

だったのが

電話取ることすらできなくて

会社で電話鳴るのが怖くなって

表向きは元気に振舞ってるのに

内心は声を出すのが怖いっていうストレスと自己嫌悪で

あぁもう死にたい。。と思ってました

2006年6月

会社で、

声 震える

とか

詰まる

とか

そんなので検索してたとき

痙攣性発声障害

って単語が飛び込んできました

なんかピンとくるものがあって、

さいだ耳鼻咽喉科に行ってきました

さいだ耳鼻咽喉科

診察室に入って、

痙攣性発声障害だと思うんですって言って

喉に機械当てて何度か発声すると

先生が

あ~痙攣性発声障害だね~

2秒置きに震えてるね

よくこんなマニアックな病名自分で調べたねw

ってことで

ここでようやく

何年も原因不明だったのが、病名がわかってほっとしました

 

もう2005~2007年あたりのmixiの日記見ると

歌えない、声が出ないことの辛さがびっしりwww

ボイトレ行っても理解してもらえない

わざとやってるといわれる

家での練習サボってるとか

集中力ないとか

こうしてって言ったよね?

とか”(/へ\*)”))

あと、シンガーのバイトでぎりぎりまで追い込んで声が出ない恐怖心から

ステージ恐怖症ってのも併発してて

ぼろぼろw

でも、原因が分かったことで随分気持ちは落ち着いたというか

静かな諦めというか

受け入れることでホッとして

母親に電話して

もう、歌やめるねん

って言った。

おかんは

がんばってきたから、ええやん

みたいなこと言ってたと思う。

なぎの誕生日が11月30日で

この年の誕生日前日の29日、

うちでひとりで志田未来ちゃんが出てた

『14歳の母』

っていうドラマを見てた。

もう11年前かぁ。。。
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この時の放送で

志田未来ちゃんが、母親役の田中美佐子さんに

お母さんも、私を産むとき怖かった?

ってセリフがあって、なんかそれがすごく印象に残って

その年から

自分の誕生日には

おかんに

おかん〇〇周年おめでとうって送るようになりゃした( ̄▽ ̄)

おかんの句読点とか誤字っておもろいwww

 

この時、大好きなおばあちゃんが癌になってしまって

おじいちゃんもいつまで玉ねぎ作れるかわかんないし

もう淡路に帰ろうかなって思い始めてました。

たまたま外回りの営業の合間で見たケイコとマナブにデジハリという、ウェブとかCGの学校の広告見て

学校見学に行って

歌はもうあきらめてCGデザイナーになろう。。。

ウルトラマンにはなれなかったけど

せめてウルトラマン制作する側になろうと思ってw

学校行き始めました。

CGの作業をしてるときは没頭して

辛いこと忘れられました

その時作ったのが

前にも書いたけど

日高川入相花王CG

だったんです( ̄▽ ̄)

んで30歳の11月30日、誕生日に就職先決まってないけど退職してw

翌月採用してくれた会社でCGデザイナーになって

全然今までと業種も人種も別世界で

歌はちょっと片隅に置いて

でも時々、ローリングストーンズのカバーバンドのコーラスとして

Gimme Shelterって曲だとソロパートもあったりして

そこで1曲入魂なら楽しく歌える~~

みたいなのが数年ありましたw

Gimme Shelter

ソロパートは2分40秒あたりから

たまたま最後の高音が出てたのと

ここだけだとパワーで押しきれたのでインパクト強かったのか

そのバンドで一時期いろんなとこに出没することで

なぎちゃんソロでは歌わないの?って

言ってもらえたり

バンドに声をかけてもらったりすることがあって

そこからまた広がって

今度は、レッスン代出すから応援したいなんて言ってくれる人まで現れて

もうそれだけでも

こんなん言うてくれる人おった~~~

ありがたやありがたや~(T△T)

っておかんに報告www

自分の中で何かしら手応えというか、何かしらの結論を出すまでやってみようかなって思って

そこからまた痙攣性発声障害に向き合おうって思うようになりました。

治療としては、手術や、喉にボツリヌス菌の注射を打つことで緩和しますが

なぎは治療は何もしてないです。

さいだ耳鼻咽喉科で診断してもらったときに

ボイトレでは治らないんですよね?

って聞いたら

大丈夫、治るよ

って言ってくれたことと

理解してくれるボイトレの先生や、研究させてほしいっていう先生に出会えて

何年かかっても克服したる!!って思ったので。

上手くいかないことのほうが多かったし

今も試行錯誤しては凹む。。の繰り返しやけど

少しずつ結果は出てるなぁと思います

続く。

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