そんなわけで、2022年の10月~11月にかけての母親のガン発覚、入院手術で約27年の東京生活にピリオドを打つことを決意。
でも実はその数年前から、なんとなく、淡路に帰って、淡路で何か地元に貢献できる仕事をしたいという想いは朧気ながらはあった。
ワタシが上京した1990年代後半はまだインターネットもなくて、ポケベル全盛期。PHSと携帯が繋がらない時代。
何でもええからとりあえず東京に行く!!とにかくこの島から出て新しい世界を知りたい!!って気持ちが強かった。だから住み込みで新聞配達してまで上京した。
でも、なんか結局歌手になりたいよりも東京での日々の生活に流されて、あっという間に10年20年と経ち、気が付けば自分は何者でもない、淡路に残ったり、帰ってきて家業を継いでる友達らは家族を持ち、家業を継ぎ、地域に貢献してるのに、私は何をやってるんだろうと、、、
途中からそんな思いがよぎるようになってきたりして、淡路に帰ることを考えたりするようになってたなぁと思う。ただそのころはまだ、じゃあ仕事どうするねんってのがあったし、今はCGデザイナーで独立できてるけど、今回はなんで歌手になりたいって東京出て、CGデザイナーで帰ってきてるねんってところの入口の話。
上京後二年は新聞奨学生で音楽の専門学校に行ってた。卒業後は企業に飛び込み営業で給茶機やコーヒーマシンのリース契約をするオフィスコーヒーの営業をしながら、ダンスや歌のレッスンに通い、一時期は芸能事務所に一応所属してみたりw
オフィスコーヒーの営業は3年くらいやってたかな。そこで仲良くなったお姉さんに誘われて、2001年にリクルートスタッフィングに登録して、当時マイライン全盛期で、IP電話を使ったマイラインの営業チームに配属。そこで電源の入れ方からパソコンの使い方を覚えて、エクセルは日報の入力で使った。
そのころに浜田麻里さんのオフ会とかに参加したり、mixiがはやりだしたりして、今まで所属してたパフォーマンスのグループ以外に、バンド仲間というのができて、そのあたりからバンドやセッションに参加するようになった。
ダンスも歌もへたくそやけど(笑)私は本当にご縁に恵まれて、メジャーデビューも有名になることもなかったけど、それなりに小さいものから大きいものまで、いろんなステージに立たせてもらったり、けっこうビッグなミュージシャンとご一緒させて頂けたりお話させて頂ける機会にも恵まれたと思う
その派遣で所属していた会社には法人営業として6年お世話になって、PC触ったことない人間が、IP電話やらADSL(懐かしいw)やらVPNやら勉強して営業して、それなりにエクセルとかも使えるようになって、退職20年弱になるけど、いまだにOB・OG会に、仲間としてお誘い頂けている。
歌手になりたい~なんて言って東京に出てきたけど、歌やダンスもぼちぼちで、そんな自分でも生活の糧として、二十歳から飛び込みのオフィスコーヒーの営業(飛び込みだけに色々ヤバイことあったw)して、そのあと当時最先端のIP電話という技術を持った大手町の大きなビルに入ってる会社で働いて、東京各地、いろんな会社に営業して、何のスキルもなかった自分がたくさんの人に出会えて、知識や経験を積むことができて、ま~とにかく当時はよく飲んだw
終電で帰るという発想がなかったなwww
元気だったんやなぁwwwそれで翌日会社に行ってたし。
で、27歳の時に浜田麻里のセッションに初参加、そこで知り合った人が自分のHPを持ってて、それでHP作成に興味を持って、当時あったyahooジオシティーズというサービスでブログを書いてみた。
で、更にそれを改造したい、という思いから、次はHTMLを勉強して、レンタルサーバーに契約して、でも自分はパソコン持ってなくて、当時の彼氏のパソコンで、土日に彼氏がバイトで不在だったので、土日は彼氏の家で朝から晩まで一日中HP作りに勤しんで、その時に初めてPhotoshop触ったことも覚えてる。その時に、これだけ夢中になれるなら、webデザイナーになりたい!!って思いが出てきて、でも20代後半で未経験でウェブデザイナーってまず到底就職無理なんよねw給料安いしw
でも、それが、今のCGデザイナーの仕事につながる、本当の最初の最初のきっかけだったように思う。
バンドやダンスやらやってても、歌手にはなれないし、なんかもうなれる気もしなかった。悲しいけど。
でも20代後半になって、何者かになりたい!!って思いが強くなってきてた。当時のイメージはそんな感じで記憶に残ってる。
そのIP電話の会社でも、少し後に入ってきた派遣の男の子が社員になって、試験を受けたりしてて、自分もマイラインの営業から、VPNとか代理店開拓やってる部署に行きたいって自分から言って、異動させてもらって、でも自分はそれがやりたかったわけじゃなくて、当時の自分はその部署の人たちの仕事に対する活気や熱量に、自分が渇望してたものがそこにあって、満たされるような気がしただけだった。
そこの部署で働いてる、第一線で活躍してる社員の方に同行させてもらったり、勉強させてもらうことは誇らしかった。
でもそれは自分がやりたかったことじゃないんよね。結局。で、営業周りの合間に休憩がてらに入った日比谷図書館で、何かないかなぁ~ってなんとなくケイコとマナブっていう雑誌を見たら、巻頭特集がデジハリこと、『デジタルハリウッド』という、webやDTPやCGデザイナーになるための専門学校の記事で、日比谷図書館でその場で電話して、今はなき、デジタルハリウッド池袋校に学校見学、勢いでwebデザイナーコースに申しこんだ。これがCGデザイナーになる、また次の入口のまだ手前w この時すでに29歳。
出来事を思い出すとついこないだみたいに思うけど、その当時のパソコンやソフトや自分のこと思いだすと、めっちゃ昔やなぁって思うwww
遡ってるといろいろ書いてしまうわね、、、
次はwebデザイナー希望からCGデザイナーになるまでってとこかなw
誰も読んでないと思うけど忘備録