☆解説☆壺坂観音霊験記

 

壺坂観音霊験記

明治時代に作られた演目で、座頭(ざとう)の三味線弾き沢市(さわいち)と、その妻お里(おさと)の夫婦愛を描いた、世話物(せわもの)というジャンルのお話です。

※座頭(ざとう)・・・江戸期における盲人の階級の一つ。またこれより転じて按摩、鍼灸、琵琶法師などへの呼びかけとしても用いられた。
出典:Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%A7%E9%A0%AD

あらすじ

子供の頃に疱瘡(ほうそう)を患ったことで盲目になった沢市(さわいち)は、妻のお里(おさと)が夫婦になってこの3年間、明け方になると毎日黙って家を抜け出すのを、他に男ができたのではと疑い、気が沈んでました。

ある日、自分は盲目の上に顔は疱瘡で見る影もない、ほかに男ができたのなら仕方ない、本当のことを明かしてくれとお里に問い詰めます。

それを聞いたお里は

沢市つぁんてばひどい”(/へ\*)
いくら貧しいからって、あんたを捨てて他に男を作るような女だと思ってたなんて”(/へ\*)

「エヽソリヤ胴欲な沢市様。いかに賤しい私ぢやとて、現在お前を振捨てゝ、ほかに男を持つやうな、そんな女子と思ふてか」

と言って、

沢市の目を直したい一心で、眼の病にご利益のある壺坂寺の観音様に3年間毎日かかさず山を登って祈願してたことを打ち明け

沢市が他に男ができたように思っていたことに腹を立てて泣きます。

沢市はお里の本心を知り、お里に謝って、お里の気持ちに感謝し、自分も参拝しようと夫婦揃って壺坂寺に向かい、観音様に参拝します。

沢市はここに残って3日間断食して祈願するからと、お里を家に帰します

お里は、坂を上って右に行くと険しい谷があるので、じっとしてるよう沢市に念を押して、いったん家の用事を片付けに帰ります。

残った沢市は、貧乏で盲目な自分を介抱し、大事にし続けてくれたお里を疑っていた自分を恥じて、

3年間祈願してもどうせ利益もないだろう、自分が生きてることでお里に負担をかけるよりも、死んでしまったほうがお里が幸せになるだろうと、お里に行かないよう念をおされた谷間がある場所自ら向かい、杖を傍らに突き立てて、そこから身を投げます

何も知らないお里が戻ってくると沢市の姿が見えません。

“沢市っつあんいなう~~と”

声をあげて探し回ってると

見覚えのある杖が立てかけてあるのを発見!!

驚いて谷を覗き込むと

谷底に月に照らされた夫の死骸
Σ(゚Д゚)

「沢市様いなう/\」とここかしこ木の間を洩るゝ月影に透せばなにか物ありと、立寄り見れば覚えの杖。『ハツ』と驚き遥かなる、谷を見やれば照る月の、光に分つ夫の死骸

お里は気が狂ったように泣いて、叫んでも飛び降りることもできず、その場で嘆き悲しみ、沢市はもとより死ぬ覚悟であったのかと、連れてきたことを後悔します

「ハアこりやマアどうせう悲しや」と狂気のごとく身を悶え、飛び降りんにも翅なく呼べど叫べどその甲斐も、答ふるものは山彦(やまびこ)の谺(こだま)よりほかなかりける

死後の世界で誰が沢一の手引きをしてくれよう、迷ってるのではないか、沢市を思って泣きつくし、

「この世も見えぬ盲目の 闇より闇の死出の旅 誰が手引きをしてくれう 迷はしやるのを見るようで、いとしいわいの」とかき口説き、口説きたて口説きたて歎く涙は、壺坂の谷間の水や増るらん。

やがて顔をあげ、

すべては前世からの定まり事、夫と死出の旅に出ようと自分も谷底へ身を投げてしまいます。

やう/\涙の顔を上げ「アァ悔やむまい歎くまい。みな何事も前(さき)の世の、定りごとと諦めて、夫とともに死出の旅。急ぐは形見のこの杖を、渡すはこの世を去りてゆく、行先導き給へや南無阿弥陀仏」弥陀仏の、声もろともに谷間へ、落ちてはかなき身の最後貞女のほどこそ哀れなり。

ここでなんと観音様登場☆

沢市が前世の業によって盲目になったこと

お里の信仰心によって、寿命を与えることを告げ

2人の命が助かり、なんと沢市の目も治っていたのでした。

めでたしめでたし(≧∇≦)

二世と胴欲

義太夫で女役が自分の心情を訴える部分を『口説き(くどき)』というのですが、

お里が沢市の死骸を見つけた後の心情を語るときの口説きのところ

「~ほんに思へばこの身ほどはかない者があろかいな。二世と契りしわが夫に永い別れとなることは、神ならぬ身の浅ましや。

かかる憂き目は前の世の、報ひか罪かエヽ情けなや。

この世も見えぬ盲目の闇より、闇の死出の旅。

誰が手引きをしてくれう迷はしやるのを見るやうで、いとしいはいの」とかき口説き、口説きたて/\歎く涙は、壺坂の谷間の水や増るらん。

ここでも出ました

二世って言葉

以前の記事でも書いた

二世を結ぶ(絵本太功記)

とか

二世を契り(菅原伝授手習鑑)

とか

二世の固め(義経千本桜)

 

↓前回記事人形浄瑠璃の世界と浜田麻里さん記事キャプチャ

はい。ここテストに出るとこ

うそ(*`艸´)

中学生のときはこうゆうの敏感なのでw

二世を結ぶ⇒二世(子供)を作る

ってことだと思ってたw

場合によっては結果的にすることの意味は同じようなもん。。。か。。?

いやん(/ω\)

お里が沢市に対して

エヽソリヤ胴欲な沢市様って言う、

この胴欲って言葉も、色恋沙汰で女が男に対してのセリフでちょいちょい出てきます

「エエ胴欲じゃ、エエ胴欲じゃ」

とか。

はい。これもテストでますww

胴欲の意味は、

[名・形動]《「どんよく(貪欲)」の音変化》
 非常に欲の深いこと。また、そのさま。「―な人」
 思いやりがなく、むごいこと。また、そのさま。非道。
「さりとは―な」〈浮・禁短気・二〉
[派生]どうよくさ[名]
※出典https://kotobank.jp/word/%E8%83%B4%E6%AC%B2-581595

とありますが

義太夫とかでは女が男に対して言うことが多いので

ひどいわひどいわ(ノ◇≦。)

って感じなんだろうなとwテキトーwww

でもほんとによく出てきます。

なぎも、胴欲じゃってなんじゃ?

って思ってました。

女のひとが男のひとに対して、自分の気持ちが伝わらなかったり、踏みにじられたりしたときに出てくるようです。そして、このときの三味線は、女のひとが泣くときに使われるフレーズが鳴ってることが多いです

女役が使う印象が強いですが、男役でも使うことあるのかな?

 

お互いを思うがゆえの悲劇

 

ふたりは元々はいとこ同士でしたが、お里は幼いころに両親を亡くし、伯父に育てられ、

沢市は3つ違いの兄さんとして暮らしてきたのです。

お里は小さい頃から沢市に憧れみたいな気持ちを持ってたのかもですね。

子供の頃はなぎも年上のいとこのお兄ちゃん大好きだったし^^なんか特別な存在でした。

沢市は元々男前だったとか。

疱瘡で盲目になり、顔も変わってしまったけど、お里にとっては大好きな人に変わりなく、そんな大好きな人と夫婦になって、貧しくてもなんのその、たとえ火の中水の底、未来まで夫婦だと、沢市の目が治るように一日も欠かさず明け方に一人壺坂の観音様に祈願してきたんです。

一方、沢市はそんなこととは知らずに、自分は盲目で顔も見る影もない、人からお里は美しいと聞くほどに、こんな自分よりも他に好きな男ができても仕方ないと諦めてる、だから本当のことを言ってくれと

その思いを目に涙をためながらお里に打ち明けます。

沢市を一途に思うお里はこれを聞いて悲しみ、沢市はお里を疑った自分を恥じます。

お里は沢市の目を治したい一心で祈願を続けるも

沢市はいくら信心して願ったところで何の利益もない、自分が死ぬことでお里にいい縁ができることがお里への返礼だと自ら死を選んでしまうのです。

もう、あほーーー”(/へ\*)”))

 

自分なんかよりも他の人と一緒になったほうが幸せなんじゃないかって

お里からしたら

来世までと決めた沢市と一緒にいることが幸せなのに。

そしてお里もまた沢市を身を投げてしまうという

お互いを思いやるゆえの悲劇ですね。

でもだからこそ観音様も2人の命を助けて

ご利益を授けたんだろうな。

 

 

見どころ

人形浄瑠璃とかあまりなじみない人でも、この話は分かりやすいんじゃないかなと思います。

中学校でやった演目のうち、初めて観ても一番話が入ってきた印象があります。もちろん大人になってから、あぁここはこうゆうことだったのかって改めて思うところはたくさんありますが

人形浄瑠璃では、沢市とお里が身を投げるシーンは

実際に人形遣いの手を離れて、人形が落下します。

ちゃんと見えないとこで下で風呂敷で落ちた人形を受け止める係がいるんですけど

初めて観たときは、かなりびっくりしたし

今まで生きてるように動いてた人形が、人形遣いの手を離れた瞬間に無機質な感じになって落下するのがリアルに死を感じさせるのか、

何度観ても

ドキっとしてました

 

先日、女流義太夫演奏会では人形なしで鑑賞したけど

沢市が身を投げるところのシーンでは

死を決意した沢市の心情、険しい山道を登って岩をあけあがり、谷底では水がどうどうと響く情景の緊迫感が三味線の音で表現されてて、すごく引き込まれました。

観音様によって命が助かったふたりが目を覚まして

沢市の目が開いてることに気が付いて、

沢市がお里にハジメマシテとか言っちゃうところとか

ちょっと笑えたり

登場人物は少ないけど話の起伏があって、

観音様も登場したりして

最後はハッピーエンドで

その経緯やお里、沢市の心をひも解くと、なんだか現在のスピリチュアルに通じる話だなぁと思うのです。相手に求めるとかエゴではなく、本心から大切な人のために祈ることで奇跡が起きるみたいな。

演歌と浪曲の壺坂

ちなみに、壺坂情話っていう演歌もあります。

中村美津子さんが歌ってます。お里のセリフもあるぜよ。


壺坂情話

それと、たまたま見つけた浪曲の壺坂霊験記

この浪曲では、3分30秒あたりから、沢市がお里に男ができたのなら。。と問い詰める件のところで、盲目になった理由を語ってます

10年前、2日間にわたる大雨による水害で、逃げ遅れたお里を助けたことで、目に土砂が入ったことで、目が見えなくなり

味気ない日々を送っていたところ、それを聞いたお里が嫁入りしてくれたと

話の大筋は変わらずとも、

いろんなバージョンがあるんだな。。

 

壷阪寺

この話に出てくる壺坂寺は、実際に奈良にあります

壷阪寺

演目のタイトルと漢字が違いますね。

人形浄瑠璃の演目は、実際の歴史上の人物や、史実をもとに脚色したりして作ってたりして、

フィクションなので、名前も時代も微妙に変わってたりします。

絵本太功記では

明智光秀⇒武智光秀

羽柴秀吉(豊臣秀吉)⇒真柴久吉

とか。

当時は幕府の検閲とかに引っかかると上演できなかったりすることもあったので、いろいろ工夫されてるんですね。

壷阪寺に関してはやはりお話自体はフィクションってことで漢字を変えてるのかな?と思いきや、

壷阪霊験記って表記されてる資料もありました

国立国会図書館デジタルコレクション

本堂横手には、お里、沢市が身を投げた、投身の谷と言い伝えられている谷があるとのことで、壷阪寺の古い歴史の中で、元になる実在のモデルがあるのかもしれないです。

この演目のヒットで壷阪寺の観音様のご利益を求める参拝客がたくさん訪れてたそうです。

HPには、眼病封じのお寺とあり、壷阪寺観音祈祷の案内もあります。

また、桓武天皇をはじめ、平安の昔より多くの人々に眼病に霊験あらたかな寺として信仰を集めてまいりました。とあるので、桓武天皇が眼病封じの観音様として信仰していたいわれも実際にあるようです。

沢市お里は実在したのかもですね。

なぎはCGの仕事してて目が命なので

機会があれば行ってみたいなぁと思います。

奈良は他にも人形浄瑠璃の話にゆかりのある場所や、行ってみたいお寺や文化遺産があるので、そうゆうの巡ってみるのも楽しそう♪

昔はなんとも思ってなかったのになぁww